倭国歴史学部壱岐学科

壱岐海神(わだつみ)座

日本人の祖先は壱岐人!?
倭国歴史学部壱岐学科

ヤマトの神々の島壱岐、一支国、壹岐、壱州のあれこれ

中世日本の歴史舞台、壱岐

 

壱岐観光 魏志倭人伝 元寇 古事記 日本書紀
教科書でみたことある!? 元寇襲来です。

主な名所旧跡をダイジェストで。安土桃山時代までの日本の歴史で学習したことが
壱岐に来ればそこここに確認できます。壱岐は、中世日本の最前線だったのです。
教科書や小説に載っていた歴史の足跡を直に確認してください。

壱岐の歴史を年表との対比でご覧になるなら・・ここ

日本中世の歴史とのかかわり

有史以前、日本国成立にかかわる島
飛鳥時代より前はどうなってたの?
魏志倭人伝の国は現在のどこ?
邪馬台国はどこのあったの?
歴史の好きな生徒さんにとって壱岐は飛鳥時代以前の日本、魏志倭人伝の時代の日本を知る格好の地になるでしょう。

有史以前の壱岐について多少の個人的見解を織り込んで想像してみます。
半島の釜山から南へ50キロで対馬の北端です。
倭の先祖は海を渡って対馬に着いた。本来なら、対馬で安定した生活を築くところですが 対馬は海からすぐ山の地形で平野がほとんどありません。
すでに農耕技術を持っていたであろうご先祖様は対馬の南端から見えるのっぺりとした島、壱岐にわたりました。
壱岐にわたってみるとなるほど、高い山はない、平地が多い。
農耕に適している川の流れる湿地や平野があり、海に近く、小動物を狩るにも適した林があった。彼らはこの島に定住し子孫を増やしました。
農耕・採取・狩猟だけでなく船を作って対馬・五島・呼子、朝鮮半島あたりまで交易を行いました。

玄界灘は荒れる海。しかし季節と潮を知ったかれらには逆に悪条件も味方にできる。
もちろん正当な交易もあっただろうし、海賊行為もあったでしょう。巧みな航海術が彼らを強大にしました。
そして財を蓄え、交易により最新武器を手に入れ、玄界灘一円をエリアとする軍事国家となりました。
勝本町と芦辺町の境あたりを中心に点在する「鬼の岩屋」と呼ばれる古墳の数の多さは驚きに値します。
実はこれでも一部にすぎません。 壱岐島内に確認されているこうした古墳は256基もあります。 しかも、長崎県では一番古墳の数が多く、長崎県 全体の60%を占めるそうです。

掛木古墳から百合畑古墳群、そして県下最大の前方後円墳双六古墳。
この小さな島になぜ・・とお思いになるはず。
このエリアはほぼ壱岐の中央部。海から6・7キロはずれた小高い山の重なる地域です。
農耕も漁労も交易もこのあたりは不便。生活中心地は海辺の平野にあったはずですから住居跡ではありません。
そうです、ここはエジプトの「王家の谷」と同じ、王家の魂の眠る地、いうなれば「壱岐王家の丘」 なんです。

それにしても256基はケタはずれに多い。おそらく、長きにわたって壱岐にとどまって 経済力・武力に優れた海の王国になっていったのでしょう。
その歴代王とその一族が眠るのが「壱岐王家の丘」です。
壱岐の国の首都はどこにあったか
大きな規模の遺跡としてカラカミ遺跡・原の辻(ハルノツジ) 遺跡があります。
時代の前後関係もありますが 基盤となる農耕・水利の面で原の辻が間違いないでしょうか。
現在は干拓されて長崎県で二番目に広い平野ですが、弥生時代も、かなり広い平野であったことは間違いないようです 。
原の辻遺跡は静岡の登呂・佐賀の吉野ヶ里と並ぶ、国の指定特別遺跡 になっています。
国府の環濠集落が復元されて公園になっており、出土品は近くの一支国博物館に保管・展示されています。

壱岐の印通寺から呼子までほぼ27キロ。 天気が悪くなければ佐賀・福岡の山が見えます。
海の向こうに広大な陸地があることは日常見て知っていたでしょう。交易で地理や潮についても熟知していた。
最新の武器戦術と戦いに慣れた軍隊をもっていたからたやすく上陸制圧できたでしょう。

始めに呼子・唐津を、そして海沿いに東へ進み前原エリアを従え、さらに博多の地に。
後に魏志倭人伝に記される 末盧(まつろ=現在の唐津市)・伊都(いと=現在の糸島市)・奴の国(な=現在の福岡市)です

壱岐学講座初級カリキュラム

壱岐観光
壱岐観光 魏志倭人伝 元寇 古事記 日本書紀
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壱岐へ修学旅行
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ヤマトの神々の社
一支國国府跡・原の辻遺跡
横穴式古墳・鬼の岩屋
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足利尊氏の安国寺
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壱岐の代名詞・猿岩
捕鯨で繁栄した島
典型的農家再現・風土記の丘
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麦焼酎発祥の島になった訳は・・
本土との連絡は狼煙でした

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