画像でみる「昭和の勝本浦」2

昭和30年〜35年ごろの勝本浦

昭和の勝本浦 古い画像

昭和初期の正村湾

漁船も少ない、見慣れていた船着場の「タナ」もないようです。浜通りがまだ岸壁でなくガタのまま。そういえば・・小学校の頃までまだ埋め立てではなかったような記憶が・・。

この角度は、上ん山からでしょうか
今度帰ったらこの角度から撮ってみようと思います

昭和の勝本浦 古い画像

昭和30年から35年ごろの勝本港
川尻の上、坂本触の坂道あたりから撮ったものでしょうか。
「タナ」もできてるし漁船の数もおおくなってます。
赤滝に住宅もできてる。

つきだし・町ん先あたりからむこうは家がないような。
昔の勝本はおかりど(お仮堂?)からしょうもんさあ(聖母宮)までが勝本だったんですねえ。それで聖母宮の十日祭りで神様が移るおかりどは勝本浦の東の端 だったんですね。この写真でナゾが解けました。

おかりどがなぜ塩谷ではないのか・・不思議だったんです。

昭和の勝本浦 古い画像

昭和35年ごろの勝本港
汽船が通っていましたね。船は対州丸かな?壱州丸かな?
大衆丸でなくて対州丸って表記でいいんですよね、たしか・・。

ちょっとしけた日に中瀬戸をのぼる汽船が、がぶりまくりしているのを気の毒に思いながら、馬場先の浜からよく見ていました。

昭和の勝本浦 古い画像

昭和35年ごろの勝本港
汽船が通っていました。この桟橋がありました。

境界の白い木の柵・・おお、あるある。
ジャングルジムみたいに乗って遊んでた。
三輪車やら右側の倉庫やら・・懐かしすぎる

土産売りのおばちゃんとみやげ物載せる台
懐かしい・・

昭和の勝本浦 古い画像

昭和30年代後半の勝本港 見送り風景
東京に住んでた伯父が盆に帰省して帰るときのものでしょう。
もうこの世に居ない親戚のおんちゃん、おばしゃんの顔があります

右下でテープ振っているガキ・・もしかしたら私かも・・

昭和の勝本浦 古い画像

このページでは多分最も古いのでしょうか、多分昭和20年代の黒瀬

あまり変わってないですね。
つたや旅館、今も残してあるのが嬉しい。
そこ歩いてる男の子・・今いくつになっているのかな・・

インドネシアかフィリピンの原住民部落??
いいえ。およそ60年前の馬場先の家です。
もう家も10歳の頃建て変わって、道もカラーセメンのタイルになって

昔の家のことはほとんど覚えていませんが、かすかに記憶に残っています。かなり懐かしい時代の一枚。

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こちらの画像の一部は「勝本の軌跡 平成16年発行」から写したものがあります。
写真の持ち主様がわかりません。画像をおかりしております。ご了承くださいませ。

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