昭和30年〜35年ごろの勝本浦
昭和初期の正村湾 漁船も少ない、見慣れていた船着場の「タナ」もないようです。浜通りがまだ岸壁でなくガタのまま。そういえば・・小学校の頃までまだ埋め立てではなかったような記憶が・・。 この角度は、上ん山からでしょうか |
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昭和30年から35年ごろの勝本港 つきだし・町ん先あたりからむこうは家がないような。 |
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昭和35年ごろの勝本港 ちょっとしけた日に中瀬戸をのぼる汽船が、がぶりまくりしているのを気の毒に思いながら、馬場先の浜からよく見ていました。 |
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昭和35年ごろの勝本港 境界の白い木の柵・・おお、あるある。 土産売りのおばちゃんとみやげ物載せる台 |
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昭和30年代後半の勝本港 見送り風景 右下でテープ振っているガキ・・もしかしたら私かも・・ |
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このページでは多分最も古いのでしょうか、多分昭和20年代の黒瀬 あまり変わってないですね。 |
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インドネシアかフィリピンの原住民部落?? 昔の家のことはほとんど覚えていませんが、かすかに記憶に残っています。かなり懐かしい時代の一枚。 |
こちらの画像の一部は「勝本の軌跡 平成16年発行」から写したものがあります。
写真の持ち主様がわかりません。画像をおかりしております。ご了承くださいませ。
勝本浦の方におねがいがあります。
あなたの家に眠っている勝本浦の家並み、生活、人物写真、公開していいものをお貸しください
デジタルに残してネットで公開したいと思います。
勝本弁に翻訳
ああたんがてねむっちょい古か写真のあったん貸しちくれんで。
けーんごとデジタルにしち、ネットで公開すいて〜たい。
借しちもろうた写真は返すごとすいけん
よろしゅうおねがいします。
こけ電話しちくれなあれ
092-321-0593
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