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昭和35年前後の暮らし

昭和の勝本浦

昭和30年から35年ごろの勝本朝市
この朝市の写真は坂口本屋から品川病院の階段に向かう坂道んとこ、ですね。

それにしても人が多い、祭りじゃないのに・・。
AKBもSMAP も北島三郎もいないのに・・

少し年配の人の服装と、少し若いおばシャンの服装が違うのが面白い
少し年配はカスリの着物?に上っ張り、少し若いおばシャンの服装ブラウスだったりセーターだっかり、新しい服装もあるってことは・・昭和35年ごろなのかな??

昭和の勝本浦 古い画像

昭和35年ごろのみなと祭りの仮装行列

馬場先のおばしゃんたちです。

今、平成23年・昭和で言うなら86年
ここんわっかおばしゃんたちはみんな30代やろなあ

もうほとんどおんなあれん 。
生きちょんなったら85前後です。

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昭和35年ごろのペーロンの支度かな
馬場崎町内のおんちゃんたち。

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昭和の勝本浦

昭和35年ごろ。 こんかっこうは「みゆき船」やろ
東京に住んでた伯父が帰省して撮ったものでしょう。
もうこの世に居ないおんちゃんたちの顔があります
懐かしい顔ばっかいばって、ちっとさびしか・・

腕に巻いたとはなんか意味のあいとやろうな
今度たしかめちょかな・・

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これは昭和40年代初期かと思われます。
夏はアカイカ(剣先イカ)、冬はツシマメ(スルメイカ)で、ほぼ一年中イカ干ししてた様な気がします。
この時代はよくイカがとれて、イカが豊富にいたからブリもよく釣れていました。
おまけにイルカの大群まで住み着いて大騒動になりましたが・・。

勝本浦中の浜、空き地には上の写真のようにイカ干し台が組まれ、最盛期は勝本浦中のイカ干し台にイカが干されていました。まさにイカのカーテン。
しかし、勝本浦中イカの匂い。

あんなにたくさんのイカ、スルメになってどこで消費されていたんでしょうか。
(ちなみに、カカトで延ばしていたのはヒミツです!)

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昭和初期の正村湾

どこか外国の水上生活者の記録写真か・・と思うほど、いかにも海と深くかかわって暮らしてることが良くわかる一枚。

現在の埋め立て海岸通りができる以前の浜(正村)
勝本浦は海岸線に沿って一本に道があり、その道の両側にびっしりすきまなく漁師に家が建ち並んでいた。
その道の海側を「浜ん通り」、山側を「陸ん通り」、または「浜ん町」、山側を「陸ん町」と呼んでいた。

浜ん町の家の裏にはずらっとこうした「タナ」が組まれてココが漁船の係留場になっていた
「陸ん町」の人は近所の「浜ん町」の裏のタナに船をつないでいた
つながせてもらってるお礼は盆暮れにぶりや鯛などの魚一本ぐらい。
たいてい、柱は腐りにくい棕櫚の木、そこに竹を並べて敷いていた。
数年に一度、柱の取替え、竹の取替えが必要になるがこれはタナを利用している数人の漁師が申し合わせて自分たちで交換作業していた。

昭和40年台の前半のようです。

真ん中のおばしゃんの顔立ちが整ってるう
勝本は美人が多いとココでよく書いてるのに、写真載せたらブスばっかりだと、どうも都合が悪いけど、こうしてたまたま撮られた昔の写真でも、実際に勝本の女の人はきれいだって証拠になるねえ。

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こちらの画像の一部は「勝本の軌跡 平成16年発行」から写したものがあります。
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